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旅の写真日記

+ 貧しく明るい働き者(全3頁)

旅の写真日記
貧しく明るい働き者 (3)

翌朝、もう1度コンポンルオンに行きたくなったので、予定変更。再びトラック乗り場へ。
昨日と同じバンが待機していた。これまた昨日と同じ助手少年が「あら!? また行くの?」という顔をして寄って来た。ふたりでなぜか空手の型を真似し合った。
少年は汗だくだった昨日とまったく同じ服装で、今日もきびきびと働いていた。凛々しい青年の瞬間だ。かと思うと、仕事の合間には、顔見知りの子たちとワイワイじゃれ合っている。きっと両方ともこの子の素顔なんだろう。

コンポンルオンに到着し、昨日のベトナム人一家の小屋へ寄った。
今日は旦那さんひとりしかいない。
「奥さんは?」
「今日は働いている」
「え!? 病気は良くなったの?」
「ああ、大丈夫だ」
ほんとかなぁ、と思ったが、旦那さんの顔も明るかったので、しばらく話をしてから「それじゃ」と言って別れた。

運河の岸に繋がれた小船の上で、バンの助手少年とまた出くわした。
「あれ!? 車の仕事は?」と聞いたが、言葉がよくわからなかったようで、少年は「おう、おう」と言って、2人の乗船客を乗せ、小船で沖へ出て行った。
どうやら、帰りの車が出発するまでは、小船の船頭として働いている様子だった。体を使って懸命に働く姿は、なんとも気持ちがいい。

昨日の帰りはバイクタクシーを使った道を、今日は途中までゆっくり歩いてみた。
掘っ立て小屋や、高床式の住居が続く。
どの家も、ひと言で言ってしまえば「貧しい」。家財道具など一切ない。鍋とコンロと水がめが置いてあるぐらい。食事のバリエーションもごくごく限られたもの。
物がない。お金がない。娯楽がない。情報がない。
町じゅう部屋じゅう物に溢れ、娯楽に溢れ、情報に溢れている日本から見ると、本当に別世界だなぁと感じる。
生命を保つこと、その日の糧を得ることのみに肉体を使う生活は、豊かな日本ではすでに薄まってしまったものだろう。
しかし、貧しいはずの人たちがみんな明るく元気なのには、いつも考えさせられる。
プレイステーションがなくても、次世代携帯がなくても、格安航空券で世界のあちこちを周らなくても、あれだけ飛び切りの笑顔で生活できる。
人間が本能的な“生”の喜びを得るために必要なものは、きっとずっと少なくていいんだろう。
僕自身が今さら「文明の利器とはおさらば」というような暮らしができるとは思わない。ただ、時折目の当たりにできる、こうした“生”の場面から教えられることは多い。

沿道のあちこちで、炭火のコンロから出た白い煙が上がっていた。
今日もゆっくり日が暮れていく。コンポンルオンの夕飯時だ。(終)

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