貧しく明るい働き者 (2)
満員の車に1時間ほど揺られて、コンポンルオンに着いた。
細い運河沿いの平地に、木板でできた粗末な掘っ立て小屋が並んでいた。そのうしろに大きな湿地が広がっている。空はどこまでも広く、雨季のはじめの白い雲が、低い所を流れていた。
あぁ、モンゴルの草原のようだなぁ、と思った。
手漕ぎのボートを雇って、湖に浮かぶ水上集落へ行ってみた。
漕いでくれたのは、道端で出会った13歳ぐらいのツッパリ少年。思いがけぬお小遣いにありついたせいか、終始上機嫌で、一生懸命漕いでくれた。
湖岸から2キロほど沖へ出ると、プカプカと水に浮かぶ家々に近づいた。
小学校、電器屋、病院、酒屋、すべてプカプカと湖面に浮かんでいる。嵐の日は揺れに揺れて大変だろうなぁ、と余計な心配をしてしまう。
ここにもちゃんと飼い犬たちがいて、白い大きめの犬が、ボートの周りをワサワサと泳ぎ周っていた。
水上集落は、湖の水量によって、湖岸からの距離が遠い時で7キロにもなるそうだ。
1時間ほどボートで周った後、湖岸へ引き返した。
ボートを漕いでくれた少年にお金を払って散歩をしていると、掘っ立て小屋の中からベトナム語で呼び止められた。
おじさんふたりが、板の上にあぐらをかいて酒を飲んでいた。
「おい、酒を飲んでいきな」と手招きする。
酒を飲みたい気分ではなかったが、話の輪におじゃました。
「どうして酒を飲まない!? 強くなれんぞ!」とふたりは怒ったように笑って言った。
すでに酔っ払い状態のおじさんは、水上集落に住んでいて、今日はここへ遊びに来たのだそうだ。
この小屋は、もうひとりのおじさんの家。奥さんと娘ふたりの4人家族だが、4人が寝るには窮屈そうな広さの小屋だ。
奥さんが小屋の奥で横たわって、顔だけこっちにのぞかせていた。
「どうしたの? 眠いの?」と聞くと、「いいや、頭痛がひどいんだ」と旦那さんが答えた。
「薬は飲んだ?」
「いいや、薬を買うお金がない」
この家族は、1979年にベトナム・メコンデルタのアン・ザン省からここへ移ってきた。カンボジアで暮らすベトナム人は多いが、このあたりは特に多いのだという。大部分は1970年後半から80年代にかけての混乱期に移り住んできたらしい。
おじさんたちは、けっこうなハイペースで酒を飲みながら、自分の家族のことを話し、僕の家族のことをあれこれ尋ねた。
僕のベトナム語はごく基本的な会話でいっぱいいっぱいだが、「言葉を覚えてよかった」と思えるのは、こういう時だ。
通り過ぎ、すれ違っていくだけのはずの人と、もう少し踏み込んでお互いのことが知れる。値段交渉や宿の手配に使うだけの言葉では味気ない。
「明日も来るのか?」と酔っ払いおじさんに聞かれたが、「他の町へ行くのでたぶん来ないよ」と答えると、「そうか」と言っておじさんは手を差し出した。がっちり握手をしてお別れした。
僕はその足で、果物を売っていた屋台に向かい、栄養のつきそうな果物を買って、もう一度おじさんの小屋へ戻ってそれを手渡した。
夕方前に、プルサットへ帰った。
>(1)
>(2)
>(3)
>TOPページ